子どもの健やかな成長を図ることを目的とした社会教育団体です。
保護者と教職員とが対等な立場で協力し、学び合い、高め合っていく団体です。
PTAとは
PTAは、英語のParent(親)-Teacher(教師)-Association(組織)の頭文字をとったもので、
日本では「父母と先生の会」と訳していますが、今日では英語の略語「PTA」が一般的になっています。
この名称かわ分かるように、PTAは、保護者と教職員で自主的に構成され、両者が対等の立場で活動する団体と
いえます。PTAは、青少年団体や女性団体などと共に社会教育関係団体の一つとして位置づけられ、その中でも
最も多くの会員を持つ団体です。また、PTAには、学校の教育活動を理解し、教育に関わる活動に取り組むことで、
家庭・地域・学校を結ぶ役割も期待されています。
PTAの目的
PTAの目的は、子どもの健やかな成長を図ることにあります。
昭和42年の国の社会教育審議会報告『父母と先生の会(PTA)のあり方について』では、PTAの目的を
「児童生徒の健全な成長をはかること目的とし、親と教師が協力して、学校及び家庭における教育に関し、
理解を深め、その教育の振興につとめ、さらに、児童生徒の校外における生活の指導、地域における教育環境の
改善、充実をはかるため会員相互の学習その他必要な活動を行う団体である。」と述べています。
PTAの歴史
PTAの歴史は、19世紀末、児童愛護と教育環境の整備をめざしたアメリカの運動から始まりました。
創始者であるアリス・バーニーさんの「尊い命を守り無力な幼児を健やかに育て、望ましい環境に迎え入れよう。」
という訴えは、多くの母親たちの共感を呼び運動の輪が広がっていきました。
その後、この運動に父親と教師が参加し、「父母と教師が対等の立場で、子どもの教育について共に語り合う」
活動として世界各地に広まりました。
日本のPTAは、昭和21年、戦後の日本の教育の民主的改革を進めるために来日した米国の教育使節団が、
PTAの結成を奨励したことを受け、当時の文部省(現文部科学省)がPTAの普及を積極的に進めたことから
始まります。その後、全国的にPTAの結成が進み、昭和25年4月までに全国の約98%にあたる小・中・高等学校
においてPTAが組織され、やがて、市町村や都道府県単位の連合組織や全国組織もつくされ、今日に至っています。
近年は、幅広く特徴的な活動をするPTAも増加し、児童(Children)生徒(Student)と共に活動するPTCAやPTSA、
地域(Community)を巻き込んだ活動を展開するPTCAなどと称する団体も見受けられます。
- 自主団体として
- PTAは、会の趣旨の賛同する保護者と教職員によって任意に設立されます。
ですから、それぞれが対等の立場で関わり、自主的な組織によって運営される自主性をもった団体です。
そして、社会教育の観点から、子どもたちの社会における様々な分野での活動に関わります。
学校とPTAはそれぞれの独自性を発揮しながら、対等な協力関係(パートナーシップ)を築き、密接な連携を図っていくことが大切です。 - 学習団体として
- PTAの特質の一つとして大切なことは、保護者と教職員が対等な立場で意見を交換し合ったり、家庭や地域の問題点について
学んだりする、学習の場であるということです。子どもの幸福を願う、よりよい保護者、教職員であるためには、自ら学び、
子どもの健全育成について理解を深めていく必要があります。
このため、PTAは会員に対して、常に教育的素材や学習機会を提供していくことが大切です。成人教育委員会などを中心として、
PTAでは様々な学習会や研修会が実施されています。これからも時代に即した学習活動を行うことが期待されます。
とくに家庭教育力の向上・充実については、PTAとして取り組む重要な課題の一つです。
PTAのはじまり |
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昭和21年3月にアメリカ教育使節団が来日して、 教育の民主化を勧告しました。 それを受けて、文部省がPTAの普及を積極的に 推奨した結果、昭和22年から昭和23年にかけて 各学校ごとにPTAが結成されました。 三重県PTA連合会は、昭和26年1月23日に 三重県PTA連絡協議会が結成され、 平成5年2月22日に連合会と改称されました。 |
PTA安全互助会のはじまり |
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三重県PTA安全互助会は平成5年に発足し、 PTA活動がより活発に行われるため、事故、 身体生命の災難に対し、会員が互助精神の主旨で はじまった見舞金給付、賠償給付制度です。 詳細は各単位PTAに配布されますパンフレット、 手引きでご覧ください。なお、事故が起こったら、 病院にかかったら、先ず学校、県PTA安全互助会 にお知らせください。(手続きをとって下さい。) |